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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。。奥田頼杖著 平野橘翁編『心学道の話』(全二十四巻八冊揃)天保14年序 河内屋新七刊 江戸時代和本 石門心学 心学者 心学書。蛙屋鷺岱『四季季寄いろは分 ぬくめ種 全』嘉永2年 菱屋弥兵衛刊 江戸時代和本 俳諧季語集 俳句 俳書。f22092012〇明治布告布達 海兵隊服制 下 砲兵曹長礼服 常服略服 夏服 明治6年〇和本古書古文書。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘半左衛門 古文書。「はやり哥古今集」古今新左衛門[著] ; 山田清作編輯 米山堂 1934.1 稀書複製會, 第8期第15回 会報付。大正元年 細川流四季之景図 12図 勝野博園 和本 検索:盆石 家元 武将 茶人 大名 盆山 盆景 盆庭 戦前 図版 残雪 武将 大名 書院 茶会 茶人。弓矢と習射/桑村常之助/村尾圭介・若槻礼次郎・鳩山一郎序/昭和7年/廣く文献を聚め不素の薀蓄を傾け之を洗練せる筆によって纏められたもの。子孫繁昌記。『英和封譯袖珍辞書』●堀達之助編/秀山社●昭和48年発複製版発行●検)徳川蔵田屋静岡学問所沼津学校英和辞典。(和本)標註十八史略正文 全7冊 渡井量蔵標註 内藤傳右衛門板。浜野知三郎編『海保漁村先生年譜 附論語駁異』昭和13年刊 太田錦城に師事した幕末の考証学派の儒学者/漢学者 漢文集。■送料無料■ 事務日誌 西八代郡 大河内村 役所 明治11~12年 山梨県 現:南巨摩郡 戸長 書役 資料 文献 古書 古文書/くYUら/HH-2147。つれづれ草 上巻(下巻欠) 徒然草 寛文八年刋。@1939年 支那全土 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 江南風景 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 満州事変 蘇州府。千宗茶湯會席 千利休・羽柴秀吉・豊臣秀吉・古田織部。俳諧廿日艸 武陵誹窟/秦川改/廿日坊自序 菊淵舎玉我序 柳塘鐘下跋。林子平述 松浦武四郎編『林氏雑纂』(全2冊揃)明治3年序 甘泉堂・千鐘房刊 明治時代和本 北海道・蝦夷関連資料。兵器考・4冊・戦前の兵器学のバイブル/昭和15年/砲熕編・一般部/砲熕編・海軍砲熕・小銃/古代編・近代編/古今東西の兵器の大観に通ずるもの。@日本 文字 設計 デザイン 検索:広告 廣告 平面設計図 看板 字体 書体 字体書 美術字 標牌 牌額 銘牌 標識 標志 LOGO 活字 鋳造 書道 書法。木村蒹葭堂小伝/高梨光司/大正15年/大坂以外にも諸方の名士が彼のもとを訪れ当時の知識人のサロンの主宰者のような立場にあった人物/和装本。1932年 唐拓九成宮醴泉銘 唐本漢籍 検索:支那 柯羅版 玻璃版 原色 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 善本 古墨拓本 碑刻石 瓦当 金石篆刻。大寳百人一首紅葉錦 袋附 日本橋/金花堂須原屋佐助。●仏教書●『和字絵入 往生要集』全3冊揃 八田華堂金彦 地獄 閻魔 六道 浄土 天保14年刊●古書 和本 江戸時代。1936年 写真雑誌 検索⇒軍国主義 旧日本軍 満州事変 ヒトラー ドイツ軍 飛行船 支那 関東軍 日独伊三国同盟 世界大戦 生写真 和服美人 軍閥。坪内逍遥 署名入り?サイン本? 良寛と子守その他 サイン入り? 坪内雄蔵。新版 拾芥抄 全6冊(上中下)揃 藤原実熙著 京都・風月荘左衛門版。即決 1866(慶応2)年『南都暦 天保壬寅元暦 』アンティーク、天文暦学書、江戸期和本 八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、七十二候、日蝕。桃太郎御話聞書 淘祖春龜齋丸三先生御話。集古圖説 本朝軍器考圖式 上下巻(内上巻の下一册欠)。『開花柳樽』(3冊)明治11年文明開化を描いた川柳絵本 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 草双紙・絵草紙 月岡芳年 歌川芳宗 長谷川貞信。古實活花目録口傳書 天地巻 翫樹齋一芽(花押)。■『喜劇/滑稽又滑稽』中井苔香著。東京御徒町・日吉堂本店發兌。わか宮の、いと、うつくしうておはしますを、
見たてまつり給ひても、いみしうな(泣)き給(たま)ひて、
「おとなひ給(たま)はんを、えみ(見)たてまつらすなりなむこと。
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《源氏の君、紫の上の健康のご快復を願い加持祈祷をおさせになる》
《殿(源氏の君)は、対の上(紫の上)のことが気になり、
(源氏の君)「どうしたものか」
と、あれこれお迷いになっては、女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)の御方には、
ほんのしばらくもお越しにならない。
お琴などの》・・・・興味もすっかり冷めきってしまい、みな取り片づけられている。
六条院の内の人々はみなこぞって二条院に参上して、六条院では、火の消えたように
ただ御方々ばかりが残っていらっしゃって、そうなるとこれまでのはなやかさは
対の上(紫の上)お一人のご威勢であったのか、と思われる。
女御の君(明石女御・今上天皇の皇后)もお越しになって、
殿(源氏の君)とごいっしょにご看護申しあげていらっしゃる。
対の上(紫の上)は、妊娠中の女御の君(明石女御・今上天皇の皇后)のお体を気遣い、
(紫の上)「普通のお体ではいらっしゃらないのに、物(もの)の怪(け)など憑(つ)いては
ほんとに恐ろしいことでございますから、すぐにお帰りあそばすよう」
と、対の上(紫の上)は、苦しいご気分のうちにもお申しあげになる。
女御の君(明石女御・今上天皇の皇后)の若宮(東宮・皇太子)のほんとに
かわいくていらっしゃるのをごらんになるにつけても、対の上(紫の上)は、
ひどくお泣きになって、
(紫の上)「(東宮・皇太子)が大きくおなりになるのを拝見できないことになりますね。
私のことなぞ・・・・《忘れておしまいになるのでしょうね」
とおっしゃるので、女御の君(明石女御・今上天皇の皇后)は涙のあふれるのを
抑えきれず悲しいお気持になっていらっしゃる。》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
Music had lost all interest and koto and flute were put away.
Most of the Rokujo household moved to Nijo.
At Rokujo, where only women remained, it was as if the fires had gone out.
One saw how much of the old life had depended on a single lady.
The Akashi princess was at Genji's side.
"But whatever I have might take advantage of your condition,"
said Murasaki, weak though she was.
"Please go back immediately."
The princess's little children were with them, the prettiest children imaginable.
Murasaki looked at them and wept.
"I doubt that I shall be here to see you grow up.
I suppose you will forget all about me?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
琴已全无趣,那琴置一旁了。
六条院内的人,都集中在二条院。六条院内灯火也很少有,
住在里面的只有几个女人。可里是全靠紫夫人一人而繁的。
明石女御也住二条院,与源氏共同看紫夫人。紫夫人道:
“身上有孕,我里恐有鬼怪,于不利,快快回去。”
看幼小的公主得美可,不泪如雨下,道:
“我不能看大了!将来也不起我了。”
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―51B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。》
《御こと(琴)ゝもゝ》・・・・すさましくて、みなひきこめられ、
院のうちの人ゝは、みな、ある限り、二條院に集ひまゐりて、この院には、
火を消ちたるやうにて、たゝ、女とちおはして。「人一人の御けはひなりけり」
とみゆ。女御の君も、わたり給ひて、もろともに、見たてまつりあつかひ給ふ。
「たゝにもおはしまさて、ものゝけなと、いとおそろしきを。
早く参(まゐ)り給(たまひ)ね」
と、くるしき御心ちにも、きこえ給ふ。大正2年再版。。f24042105〇続瘍科秘録 全5冊 本間玄調 彩色木版画20丁以上 全巻表紙なし 安政6年〇和本古書古文書。@1924年 天方性理 馬福祥題字 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 満州国。百人一句 雲亭麻陵輯並彫 文政八年刻成。1897年 皇国小史附図 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀術 剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。@1907年 女子外国新地理 検索:支那 唐本 漢籍 唐物 戦前風景 阿片 清帝国 総督府 朝鮮 台湾 満州 事変 清朝 生写真 図版 古建築。文政三年加州武鑑 矢野倉方昌記 天保四年三月。☆E0003和本江戸文化3年(1806)東洋医学「古方便覧」乾坤2冊揃/六角重任/吉益東洞/絵入古書古文書/木版摺り。幕末 司馬遼太郎 1973年4月25日 発行。@1939年 中支景勝写真集 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 原色版 図版。枯崖円悟『枯崖和尚漫録 全』(全3巻1冊)宝永4年 長村半兵衛刊 中国宋代禅門逸話集 江戸時代和本 漢籍 唐本 和刻本 禅籍。1927年 日本童謡集 初版 西條八十 初山滋画 検索:吉江喬松 谷崎精二 広津和郎 川路柳虹 日夏耿之介 秋田雨雀 芥川竜之介 有島武郎 宇野浩二。光琳漫画。群書一覧。新撰 戯子名所圖會(やくしゃめいしょずえ)三巻合本。長谷川伸旧蔵書 山田俊蔵・大角豊次郎著『近世事情』(7冊セット=初編-三篇)明治7年刊 明治時代和本 幕末-明治初期の内政・外交関係など。永峰秀樹訳『欧羅巴文明史』(全14冊揃)明治10年 フランス歴史家ギゾーのソルボンヌ大学講義録訳出 明治時代和本 牧治三郎旧蔵書 西洋史。1937年 衛藏通志 初版 検索:新文学 新文化運動 白話文 中華民国 西藏地方誌 乾隆年 清朝 考証 疆域 山川 程站 喇嘛 寺廟 番目兵制 鎮撫支那。h∞ 明治期 旧金銀貨幣価格表 18丁 明治7年 和本 古書 /A06。栄松斎一寿撰 文松斎一僊画『遠州流 挿花四季園』(全4冊揃)文化10年千鐘房 花道 華道 生け花 江戸時代和本 中国古花器多数。邪法宗門本朝由来記 南蛮国・バテレン・破天連。俳書 蘆陰集 蕉門俳諧 蘆陰舎竺斎(百堂)編。【売切り屋】学問ノススメ 六編 福澤諭吉 明治7年 官許出版 学問のすすめ 福沢諭吉 古書和本。1940年 生写真 雲南省 昆明 中華民国 旗袍 支那美人 伝統服 漢服 西南聯大 蒋介石 国民政府 軍閥 蔡元培 督軍 龍雲 鉄血共和 本物 当時物。清朝 木版水印 花箋 秀文齋 周少白 漢文 古籍 唐本 漢籍 支那 玉扣紙 善本 線装 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府 石涛 徐渭。古資料 庭訓往来具注紗 天保5年発刊(Ⅴ055)。1914年 御即位式写真帖 検索:神職 礼正殿 支那 中華民国 大総統 袁世凱 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 天皇 満洲 総督府 張学良 古建築。酒造秘書 寫本 奧書/寛永元年甲子六月十五日。1938年 支那事変 画報 中華民国 軍閥 旧日本軍 関東軍 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 南京 満洲 蘇州 盧溝橋。@満洲名所写真帖 100図 検索: 中華民国 軍閥 蒋介石 古建築 生写真 馮玉祥 支那 国民党 総督府 汪精衛 GHQ 禁書 台湾 朝鮮 妓生 関東軍部。1929年 支那 旅行通 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 GHQ 禁書 風景 図版多。本 「古時計」 塚田泰三郎 本田親蔵 共著 東峰書房 古本 (22_10308_15)。初版 中世の関所(畝傍史学叢書) 相田三郎 2.000部限定。喜多村信節『嬉遊笑覧』(全18冊揃)明治15年 我自刊我書屋/甫喜山景雄刊 江戸時代の文化風俗全書 明治時代和本(和装活字本)。非常時国民全集・7冊/非売品/昭和9年/陸軍偏・林銑十郎・東条英機/海軍編・加藤寛治/航空編・杉山元/生活編・外交編・経済編・産業編。山分(二河白道鈔)。【華麗・細密!明治期全頁彩色歴史画!】古兮圖※落丁無 検合戦国武将軍武者絵入浮世絵本天皇朝廷三国志関羽孔明仏教骨董古書籍日本中国朝鮮。渡邊崋山肉筆疱瘡繪 鍾馗圖。大坂四組町名一覧。袁中郎流挿花圖會 前編/巻二~巻六(尾) 東雲齋黄雀・祥雲齋秀英他著。磯まくら 冥々 乙人 東北俳壇 俳諧 俳書。1935年 孔子廟堂之碑 検索: 柯羅版 玻璃版 原寸 支那 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本拓本。@1919年 何紹基 石門頌 禮器碑 何子貞 有正書局 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 篆刻 印譜 王羲之。木版画図版集「新東京百景」 昭和3-7年作品 平凡社 送料無料。☆E0031和本江戸天保3年(1832)大坂の陣写本「厭蝕太平楽記」全35巻16冊揃/真田幸村/古書古文書/手書き。支那 美人 鴉片 阿片 15cmX11cm 白黒 検索: 生写真 中華民国 旗袍 大煙館 洋行 憲兵 巡捕 租界 老照片 相片 当時物 日中戦争 満州事変 妓女。尊圓親王芳跡。蒐集家のコレクション 村上金次郎 軍事郵便 レターパックライト可 0501Q7h。董其昌 書道法帖 検索:墓誌銘 支那 印譜 法書金石篆刻 印存 王鐸 呉昌碩 原拓本 張瑞図 董香光 黄庭堅 趙子昴 珂羅版 玻璃版 米元章 王羲之。【全17巻】 明治11年「明治新刻 日本政記」 合本4冊 大郷穆 東生亀次郎 和本 木版色摺古地図多数 資料 日本史。張瑞図 許友 書道法帖 唐本漢籍 検索:墓誌銘 支那印譜 法書金石篆刻 王鐸 呉昌碩 原拓本 王羲之 董其昌 黄庭堅 趙子昴 珂羅版玻璃版 米元章。信濃國伊那郡上新田村宗門人別御改帳他。蝦夷休明光記 羽太正養。★0166和本江戸安政4年(1857)序呪い護符「呪咀伝受袋」全1冊/絵入古書古文書/木版摺り。甲賀流忍術・戦闘・諜報・捜査・必携/福山松翠/昭和28年/万川集海・軍用秘記其他の忍書や古老の言い伝え等を合せ解剖整理して編集したもの。関宿藩領関宿江戸町古文書河川関係●1873年 デレーケ氏柴工水刎 全 26丁 下総国東葛飾郡関宿江戸町 現在の千葉県野田市 221010。戦前1935年/看護婦免状/警視庁古文書 検索:本物/当時物/公印/朱印/戦地/赤十字社/ドライスタンプ/鋼印/生写真/免許/戦時許可証/原本。曽我物語 全十二巻の内 巻二・巻三・巻四・巻六~巻十二 正保頃刋 献上本。浄瑠璃本 義仲勲功記。書簡 小宮山楓軒 加藤松羅(又衛門)宛て。1932年 満洲国承認写真帖 検:支那事変 中華民国 関東軍閥 蒋介石 張作霖 溥儀 帝国 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 鄭孝胥 老照片。俳諧 其傘。@台湾県誌 検索:台北州 台湾征伐 国姓爺 鄭成功 総督府 漢文 支那 国民党 基隆州 木版画 台湾府 図版 新竹州 花蓮県 清朝 生写真 唐本漢籍。新撰彫物画譜 小島勝美画著 彫刻。霊飛経 朱印 宣紙 光緒年 検索:木版 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 彫版 刻経 玉扣 木刻 写本 套色印 白棉紙 清朝経書経。0032293 三国名勝図会 全5冊揃(本4+索引1) 原口虎雄・監修 青潮社 昭和57年 薩摩国・大隅国・日向国 定価6万円。1920年 近代支那史 検索:絵本 挿絵 絵図 太平天国 義和拳 白蓮教 鴉片戦争 乾隆帝 康煕大帝 大清帝国 西藏 生写真 古建築 紫禁城 故宮 清朝。絵本堪忍記。艶道通鑑。尚古山房 黄山谷法書 黄庭堅 検索⇒ 書道法帖 支那 印譜 法書 金石篆刻 王鐸 呉昌碩 原拓本 摩崖石刻 董其昌 趙子昴 珂羅版 玻璃版 米元章。勧施救荒。春興噺萬歳 巻之一・巻之二(全五巻内)。今古実録 真田三代記 全十五巻 一惠齋芳幾画。西国三十三所観音霊場記。1933年 文徴明 書道法帖 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 書法 北魏碑 珂羅版 支那 善本 篆刻 印譜 唐本漢籍 王羲之 石門頌 真賞齋 楷書道。貞享五年御用番文書 戸田山城守・稲垣安藝守他 貞享五年。漢文写本 唐本漢籍 検索:八股文 清朝 線装本 毛筆 肉筆 古籍善本 科挙 木版 殿試 武英殿本 聚珍版 進士 紅印 彫版 支那 真筆 筒子頁 玉扣紙。☆E0170和本文久元年(1861)「宗門人別改帳ほか」4冊/甲斐国巨摩郡一町畑村(山梨県)/古書古文書/手書き。京山人序 歌川景松他画『浮世画手本』(全3冊揃)天保7年序宝玉堂刊 明治時代和本 彩色木版画譜 絵手本 浮世絵 錦絵 博物図譜。信州筑摩郡塩尻領大川村宗門御改帳他。呉昌碩印譜 印存 西澪印社 検索: 封泥 篆刻 金石印 金文 石鼓文 雅号印 雅印 古璽 支那 官印 私印 朱印 秦漢印 鄧石如 呉譲之 張瑞図 遊印。近江國大津 奉掛御寳前 繪馬 戦国武将絵馬 願主/大津住/欲賀勘兵衛 寛文十三年正月十八日。送料込み、江戸時代の和本「信州川中島五戦記」全5冊10巻、写本、1巻に虫食い染み少しあり。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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